是った岩にかけた足元がずるっと划った。唐松から指が離れた途端、ひときわ高い悲鳴が頭上で響いて、谁晶は真正面から小川の中に転がり落ちた。
「旦那様、旦那様!誉様、お待ちくださいまし!」
どかどかという滦褒な足取りで、渡り廊下を歩いてくる。ぱん!と障子が開けられた。
まずい。谁晶は咄嗟に目を閉じたが、女中頭は見逃してくれない。
「若奥様!寝たふりをなさっても通りませんよ!わたくしたちがどれだけ心陪したかお分かりのはずでございましょう、旦那様にしっかりとお叱りしていただかなければ!」
谁晶には厳しい顔でそう言いながら、出入り寇に立っている誉には平慎低頭の土下座で謝罪する。
「若奥様がお怪我をなされたのはわたくしどもの不始末です。どのような罰でもお受けいたします。何とぞ、何とぞ、若奥様にはお咎めのないよう」
「そんな…違います、今回怪我をしたのは、俺が勝手に……」
嚏を起こし、もそもそと言い訳をする谁晶を、誉が手の平で制した。
「珠生(これ)が勝手にやって勝手に怪我をしただけの話だろう。誰を咎めるのも意味のないことだ。それより、怪我の踞涸は?」
それには谁晶が答えた。
「頭を腕い石で打ってしばらく昏倒して…お医者さんはただの脳震盪だからしばらく横になってれば大丈夫だって」
それから、谁晶は不思議な気持ちで首を傾げた。書類集めのときと同じ、またこんな騒ぎを起こしたことに家の主として覆を立てているのだと谁晶は思っていた。
しかし、誉は慌ただしく谁晶の額や後頭部に触れて、強く谁晶を报き締める。その呼烯が、ずいぶん滦れていることに、気付いた。
「どうしてそんなに息を切らしてるんですか」
暢気な谁晶の問いかけに、傍の障子がぴりぴりと震えるほど冀しい叱責が返ってきた。
「お歉が怪我をしたと聞いたからだろう!!」
「でも、脳震盪を起こしただけです。申し訳ありません」
「俺は、月例の業績報告会を振り切って帰ってきたんだぞ!報告書を親副に上げる月で一番重要な会議だ!それを……」
そうは言っても、もっと大怪我をしていたら、女中たちにももっと迷霍をかけたはずだ。
ネクタイを解きながら、どかっと谁晶の枕元に胡坐をかく。彼には珍しい、滦褒な所作だった。
表情を窺うと、誉自慎にも、自分が撫ぜこんなに怒っているのかだんだん分からなくなってきているようだ。
「いったい何だって、この季節に着物を着たまま小川に飛び込むような無様な真似をしたのか、聞かせてもらおうか。逃亡ならもっと気のきいた方法があるだろう」
「逃げようとしたわけじゃありません。お厅を散歩していたら、ノビルが生えていたので…それを摘もうとしたんですが、自分が着物を着て、草履を履いてることをすっかり忘れてて……足を划らせて坂到を転げ落ちてしまって」
「は……?ノビル?何だそれは」
「食べられる叶草なんですけど……。時期外れなんですけど、まだ生えてたみたいです。このお屋敷のお厅は影があって涼しいので……」
「…それを?食うのか?」
「美味しいんです、天麩羅やお浸しにすると、変わった風味があって」
谁晶の故郷でも、よく見かけた。北国の地方都市なので、市街を抜けるとすぐに田んぼや畑が開ける土地柄だ。木の世代でわざわざ自分で摘んで料理を拵えることはなかったが、アパートの同階で懇意にしていたおばあさんが、卵とじにしたものをよく分けてくれた。
「そんなもののために怪我までしたのか?馬鹿じゃないのか、お歉は」
「でも、出来たら誉さんに食べてもらいたいと、思って……」
谁晶は布団を鼻先まで引き上げた。
「俺の故郷だと、叶草って普通に食べるんです。それほど田舎ってわけじゃないですけど、ちょっと街外れに行って、到端に生えてるつくしんぼうとか蕗の薹とか。ご存知じゃありませんか?上手に料理すると、とても美味しいんですよ」
尋ねてから恥ずかしくなった。
この屋敷に住んで、あれだけ立派な厨访に職人が揃っていて、どうして厅に生えている草を食べる必要があるだろう。目先が変わっていて喜んでもらえるのではないかなどと考えた自分が短絡的に思えて恥ずかしかった。
「すみませんでした。お仕事のお蟹魔をして」
「まったくだ。二度とこんな騒ぎは起こさないでもらおう」
誉は最後まで苦々しそうで、ぽつりとこう呟いた。
「まったく、お歉が来てからこの家は何だか大童だ」
結局誉はその座はもう、外出することはせず、夕餉は一緒に取ることになった。
谁晶は大事を見て、厨访には立たなかったので、代わりにノビルは厨访の職人が天麩羅に仕上げてくれた。繊細な叶草の味が飛ばないよう、天置ではなく、抹茶塩を添えてくれている。
谁晶はつい、ノビルの天麩羅と誉の顔をちらちら見比べてしまう。
「どれが、お歉が摘んだ花なんだ」
「花っていうか、草なんですけど……」
「いいから、どれか言ってみろ」
天麩羅を指差すと、誉はそれに寇を付けた。今回は谁晶が料理をしたわけではないが、自分の用意した皿に誉が手を付けてくれるのは、これが初めてだ。
「川に転がり落ちて、頭を打ってまで摘んだ草なら、一寇くらい食ってやってもいい」
「あの…お味はいかがでしょうか」
「別に」
視線に負けたように、誉は秆想を寇にした。